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昭和20年8月
2008 / 10 / 20 ( Mon )
「小さい頃は、家でなんでも作っとたわ。ゴマかって、大麦、小麦は当たり前やし。粉挽きに行ってから、蒸しパンやらしてもらいよった。」姑が自らの実家を自慢するかのごとく言い始めた。
「外貨ストップしたから助かったんやわ。うちの親たちは引揚者やから、そのお蔭で財産全部なくしたものね。」私はカッツンと言い放った。

主人の両親は恋愛結婚やと言い張るのだが、どう考えても自分自身の都合に合わせているふしが見え隠れする。姑は「次男」舅は「いい家」がポイントのようだ。そして今でも、姑は舅に何でもまかせっきりで、自分では何もしない。甘えた声を出して「お父さんがおらな、お母さんは生きて行かれへん。」と言っては舅の自尊心をくすぐっているようにしか見えない。貧乏人の小倅を家中でこき使った頃の名残のように、未だに下男のように雑用を一手に引き受けている舅。おそらく好きでやっているのだと主人は言うが、そうではなく、あの横柄な姑の家の連中に気に入られるために必死だったのだと私は思っている。だが、それは決して最善の策ではないのに、好かれようと仲間入れてもらうために懸命だったのだろう。気の毒だが馬鹿らしいことだ。


何も出来ないのなら、一人で生きていけないのならどうぞ、お先に・・・

私の育った家ではそうだった。自分のことは自分でする、精神的な自立こそがまずは大事と母は私にしっかりと教え込んだ。だから、ベタベタの甘々の主人の実家のやり方には身の毛がよだつほどの嫌悪感を感じる。息子が死ぬまで、親が生きていて世話が出来るのか・・・いつも私は義父母に問うことだ。優しさといい人の振りをするのとでは意味が違うのだ。特に姑はその場限りのいい顔しぃなので、信用できない。

内地で百姓をしていたからこそ、家に”もの”があった訳で、自分自信が築いたわけでも何でもない。代々受け継いできたものだっただけの話だ。その証拠に、遺産分けや何やで手放さなければならないものはたくさんあったじゃないか。おまけに自分の都合で売り払ったものだってあるじゃないか。金に振り回された一生を送っているじゃないか。金に振り回されている情けない生き方だとも思わないだろう、そのことには気がついていないだろう。所詮その程度の認識しか持っていないのだから。

悪いが真剣に向き合うだけ無駄だ。建設的なものの味方や考え方のできないような輩と何を行っても平行線のままなのだから。決して交わることはないのだから。



昭和20年8月

あの戦争が終戦を向かえ、私の母の一家は京城から引き上げてきた。そして人生が一変する・・・築いてきた信用も財産も全てを自分の祖国から否定されたのだ。
07:57:03 | mam | トラックバック(0) | コメント(56) | page top↑
ストレスに勝つべし
2008 / 09 / 18 ( Thu )
来春の卒業を目前に、30本近いレポートを書き上げなくてはならない。
にもかかわらず、モチベーションが上がらない。
これでは卒業が見送りになってしまう…

イヤだ!それだけはどうしても避けたい。
いつまでもダラダラと学生を続ける事がいいことだとは思わないからだ。
けじめをつけて、新しい一歩を踏み出すためにもココで踏ん張らなければ。

ある人が言った。
”きらびやかな世界に身を置く人だってその代償として
かなりのストレスを受けているだろう”って。

確かにそうだ。
楽な生き方なんて、自分の望むものを追求すればするほどあり得ない。

…よっしゃ!頑張ってノルマ達成するべし。
ストレスに勝つべし。
06:07:29 | PSW | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
マズイことに
2008 / 09 / 03 ( Wed )
レポートが思うように進まない。
今月のノルマの10本が出来ずに、科目終了試験が2科目しか受験できない。
つまりそれは来年の1月末の試験日に受験しなければならず、日程の
重なっているPSWの国家試験は受験できないということを意味する。

仕方がない。
卒業することを優先したい。
無駄に1年残って高い学費を払い続けることのメリットはないからだ。
しかしながら、先月下旬まで押した実習を何とか乗り切って、
6本のレポートを書き上げただけでも良しとしなければ…

こんなことを言っていては甘過ぎる!と実家の母に言われるだろうが、
私の人生の時間の流れは私自身のものであって、干渉はして欲しくはない。
また一年結果を待つあなたに待てというのは酷なのかもしれないが、
これはあなたの問題ではなく、私の問題だ。
長いときを待たせることは申し訳ないのだが、少し理解を願いたい。

いつでも人の尻を叩くことしか頭にないような言動は少し改めてもえないだろうか。
私は、PSWを目指すに当たり、私自身に足りないものをあと一年かけて
拾い集めていくことが必要だと痛切に感じているから、この時の流れ方で
不服はないのだから。

人より少しゆっくりな時間の流れかもしれない。
だが、そのゆっくりさ加減が私とって特有の時間の流れなのだから、
いい加減放っておいてもらえないだろうか。
これ以上の過干渉で嫌気が差してしまわないうちに気付いて欲しい。
23:33:15 | PSW | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
収穫
2008 / 08 / 28 ( Thu )
実習が無事に終了した。
あとは卒業に向けて溜まっているレポート類をこなすことが一番の目標だ。

今年夏は、実習にかまけて十分に菜園の世話が出来なかった。
菜園といっても5坪もあるだろうか…という程度のものだが。

先日実習を終えて、かねてから気になっていたカボチャの様子を見に行った。
出来てる!なってる!
知り合いの方に頂戴した種から育てたカボチャ。
どのような種類のものかも知らずにとにかく頂戴したので作ろうと、
少し遅くなったが6月に種まきをした。

なってる!実がついてる!結構でかい〜!
部屋に鎌を取りに上がって収穫。
重い…思っていたよりも大きさのわりには重みを感じる。

hanako 121

ウチのワンコの顔と大きさを比べてもかなり大きい。(笑)
坊ちゃんカボチャの標準サイズと比べても、4〜5倍程度はあるだろうか。
日本カボチャは西洋カボチャに比べて甘味が少ないので、
じっくりと美味しいお出汁をしみこませるようにして炊きたい。

ゆかた南京の炊いたん

でも、煮つけばかりでは飽いてしまうし…
そこで、知り合いの方に紹介していただいた調理法も試してみることにした!
カボチャのガーリックソテー。

ゆかた南京のガーリックソテー

西洋カボチャは甘味を活かしてコロコロのカボチャで美味しくできたので
コロコロのカボチャを試してみたが、薄くスライスした方がこのカボチャには
似合っているかもしれない。
最後にバターを入れて風味付けをして、味付けは塩コショウでシンプルに…
挽きたてのコショウの香りがgood!
01:02:50 | cooking | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
限界…か?
2008 / 07 / 09 ( Wed )
気持ちはずいぶん立ち直ってきたように思っていたけど…
正直、しんどさは残ったまま

何をどうしたくてこの資格を手に入れようとしたか、
何度も何度も自分の中で問いかけて必死になってもがく

だけど、全てが絵空事のように見えてくる


私は強いわけでもゆとりがあるわけでもない
ただ単に焦っていようがどうしようが外からはあまり解らないらしい

自分がなかなかNOを言わないこと
少しでも善意に解釈できる部分があればそれを最大限に解釈して
次へ次へと望みをつないでいこうとすること

ふざけているつもりはないのにその様に取られてしまうことも多い
だけどふざけてなんかいない
自分の中では一点に集中してしまう意識を何とか他に向けて
自分なりに発想の転換を促そうとするだけなのに

でもそうしなければ自分自身が潰れてしまうから
そうやって自分を守ってきた


何するにしても楽しくありたい
そう思っていることは間違っていることなのか
ふざけていることとそれとは違うと信じている

少しの希望も持たずしてどうやって長い長い生命の終焉まで
その灯を絶やさずに生き抜くことが出来るというのか

絶望の淵に絶つ人たちともう一度少しの希望を持って
生きていこうとすることがそんなにも間違っているのだろうか

私はそれは間違ったことだとは思わない
ただ方法に誤りがあるのかもしれない

誰しもに理解をえることは出来ないだろうが
せめて誤解を受けるとこのないような手段が見つかれば…


少し急ぎすぎたのかもしれない
焦る思いが私の中のリズムをバランスを崩している

もう少し冷静にならなくてはならない

ふわふわとした感じ…
何か形にならない想いを抱えて望んだ実習の期間中
再三言われ通してきた言葉

だがそれは何かをしようとする気持ちの表れで
それが形にならない説明できないもどかしさの表れで
それが悪いと言われるのなら
自分にはこの職種は向いていないのかもしれない


逃げてしまえばいい…そう言われたときに
私はその言葉を飲み込むことが出来なかった
今でもそうだ

確かに向き不向きはある
だが消極的な解決だけが手段とは限らないはずだ

出来る限りのことはやる
その上で自分自身で判断したい
生意気かもしれないが

知らない世界を体験することのプレッシャーは大きく
戸惑いを持たない人はいないだろう

今までも決して平坦な道は歩いてはいない
何もかも上手く行かなかったことだらけ
それでも生きることの楽しみや望みは捨てなかった

だが今回のようにトコトンまで叩かれると一体何なんだ
私という存在自体が間違っているということなのかと叫びたくなる

そうしたところで何が残る
大声を上げたことで一瞬の爽快感があるだけだろう
何の解決にもなりはしないじゃないか
涙を流したからといって一時の浄化作用に気持ちを紛らすだけじゃないか

だから泣きもしない叫ぶこともしない
思っていることも見えていることも全部に蓋をしてしまっただけだ


普段なら何があろうとも腹は減るんだが
今回は腹もそう減らない

限界…か?

いや、まだまだ…

自分の芯の部分を試されていると それにブレがないかどうかを試されていると
それも一番キライな周りから少しずつ締め上げていくという方法で試されている
という実感がある

こんなことくらいで音を上げたりはしない

ただし解ったことがある

ある程度の感情の表出はするべきであるということ
ある程度の考えを示す必要があるということ

これをしなければ相手には思いは通じない
相手に通じるように言葉と態度と手段を考えてするべきであるということ

これが出来なければ ダメだ
だが活路は見出せると信じている

rei 22

09:07:56 | PSW | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

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